尾畠春夫(おばたはるお)は誰?プロフィールは?佐賀の大雨でボランティア登場し話題に?

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大雨のニュースを見ていると、

「スーパーボランティア活動家の尾畠春夫(おばたはるお)さんが駆け付けてくれました」

と報道されていました。

尾畠春夫って誰だ?と思い調べてみると…

顔を見て思い出しました。

 

 

この頭の赤いハチマキにオレンジ色のTシャツ。

 

そう!!

2018年8月に山口県で山で行方不明になっていた男の事を発見した男性です。

警察が3日かけても見つからなかったのに

尾畠春夫さんは30分で発見したあのおじいちゃんでした。

 

あれから1年も経つのですね。

 

尾畠春夫さんについて調べていきたいと思います。

 

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佐賀県武雄市でボランティア活動

(画像元:朝日新聞)

 

8月29日、スーパーボランティア活動の尾畠春夫さんが、佐賀県武雄市にボランティア活動に駆け付けたことが報道されました。

尾畠さんは28日の夕方、大雨のニュースを見て

「なんとかせにゃならん!」

ということで大分県日出町の自宅から車で駆け付けたようです。

6日分の食料と水を持ってきているようで、

しばらくは、大雨の被害が大きかった佐賀県武雄市でボランティア活動をするようです。

 

尾畠春夫さんが駆け付けたことでネットでは、「尾畠さんがやってきた!」、「尾畠さんが頑張ってるから私も頑張らなきゃ」、「本当に尊敬します」、「私もボランティア活動に協力します」などといった声があがっています。

 

ヒーローがやってきたことで

現場の空気も良い雰囲気になったようです。

 

すごいパワーを持つおじいちゃんです。

そんな尾畠春夫さんのプロフィールをまとめていきます。

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尾畠春夫さんのプロフィール

 

名前尾畠 春夫(おばた はるお)
生年月日1939年10月12日生まれ
年齢79歳(2019年8月時点)
出身地大分県
職業ボランティア活動家

 

尾畠さんは現在、大分県速見郡日出町在住のボランティア活動家です。

今年で80歳になるスーパーおじいちゃん。

 

家族は、奥さんと子供が2人。

尾畠さんのお子さんは、長男と長女が1人ずつ。

お孫さんは5人もいるようです。

 

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尾畠春夫さんの経歴

尾畠さんは、7人兄弟の4番目に生まれたそうです。

尾畠さんの父親は下駄職人だったようですが、ゴム製品の商品が流行りだし不況だったようです。

そんな中、尾畑さんが小学5年生の時

母親が41歳という若さでこの世を去ってしまったようです。

父親は商売もうまくいかず、子供も育てなければならないという現実から逃れるためにやけ酒に走ったんだとか…。

小学5年生にして尾畑さんは、

近所の農家へ奉公へ出されました。

そのため中学校へは4カ月ほどしか通えなかったそうです。

その後、姉の一言で鮮魚店で働くことになります。

その一言が「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」らしいです。

 

元気だから魚屋って(笑)

確かに魚屋さんの人って元気ですよね。

 

自分の店を出すためにひたすら修行して、

開業資金をのために東京で3年間、鷹と土木関係の仕事に就いたそうです。

 

1968年に奥さんと結婚し、念願の自分の鮮魚店「魚春」をオープンしたようです。

鮮魚店の「魚春」って、

自分の名前の春夫と掛けたんでしょうか。

 

大分の地元ではとても人気店になったようですよ。

 

65歳を機にこの鮮魚店を閉め、

ボランティア活動に取り組んだようです。

 

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ボランティアを始めたきっかけ

なぜ、尾畠さんが自分の店を閉めてまでも

ボランティア活動をしたのか気になりました。

 

尾畠さんは65歳の時に

3,300kmを3ヶ月で踏破する日本縦断に挑戦したようです。

その挑戦の中で『人との出会いの大切さ』を改めて感じるようになったんだとか。

 

また、日ごろから『人や社会に対して恩返しをしたい』と強く思っていたんだとか。

それでボランティア活動の専念しようと思ったそうですよ。

 

また別の話もあるようでウィキペディアによると、

徒歩による日本縦断の旅に出た際に立ち寄った南三陸町歌津で野宿した際、地元の住民から混ぜご飯を分けてもらったことがあり、震災発生後この住民の安否が不明となったため3日がかりで駆け付けたことであった。

この住民は無事で、尾畠はその翌日から、この地でボランティア活動を開始。

と記載されていました。

 

様々な事で尾畠さんがボランティア活動を始めたきっかけになったようですね。

すごいです。

65歳という年齢で、

この決断をするってとても強い思いがあるんでしょうね。

 

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ボランティアの経歴は?

1993年の54歳の時に初めてボランティア活動を始めます。

趣味が登山だということもあり、

初めてのボランティアは、由布岳登山道の整備だったようです。

その後、65歳で自分の鮮魚店を閉め、

本格的にボランティア活動を始めていったようです。

 

その後は、2004年の新潟中越地震や2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年7月の西日本豪雨のボランティアに参加しています。

 

2016年には、大分県で行方不明になっていた女の子の捜査に協力。

昨年、注目された2018年8月、

山口県で行方不明になっていた男の子を救出。

 

ボランティア歴は、

なんと26年にもなる大ベテランですね。

 

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尾畠春夫さんの生き方がっこいい

ボランティアを始めた理由もカッコよいですが、

その他にもかっこいいエピソードがありました。

 

2011年3月の東日本大震災のボランティアとして参加した際、「思い出探し隊」の隊長として活動した尾畠さん。

思いで探し隊とは、

がれきの中に埋もれた思い出の写真などを拾い集める活動で、なんと500日にもわたりこの活動を続けたようです。

この東日本大震災を受け、尾畠さんは浴びるように飲んていた大好きなお酒をきっぱり止めたそうです。

実際に被災地にボランティアに参加し、

思う事が色々あったのでしょうね。

 

東北3県の仮設住宅がすべて取り除かれたとき解禁するようです。

 

そんな日が一日も早く来ることを期待します。

とても素敵なエピソードです。

こんなにも強い意志でボランティアに参加してくれているのですね。

 

 

また他のエピソードは、

長男の息子から「鮮魚店を継いだ方がいいか?」と聞かれたことがあったようです。

 

尾畠さんは、

「お前には継がせない」

と言ったそうです。

『国民の義務さえ果たしていれば何をしてもいい。自分の人生だから、自分で歩むべき』

と考えているようです。

息子さんのやりたいこと、夢を見守っているんでしょうね。

 

尾畠さん自身の幼少期の経験から、

このような言葉で伝えることが出来るんですね。

かっこいいお父さん。

 

また、山口県でスーパーボランティアとして注目されたときです。

行方不明になった子供を探していた家族に対し、

尾畠さんは「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していました。

 

男児が尾畠さんに救出され、

山口県警から男児の引き渡しを要請されましたが

尾畠さんはその要請を拒否しました。

 

「口約束も契約」

「言うたことは守る」

という理由で、拒否しました。

その後直接、ご家族へ引き渡しました。

この行為は賛否両論ありましたが、

とても素晴らしいと私は思いました。

 

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収入はどうしているのか?

ボランティア活動っていっても収入があるのか気になります。

 

尾畠さんの収入は分かりませんでした。

わかったのは、月55,000円の年金のみ。

貯金もゼロに等しいそうです。

この年金からボランティアの活動費として捻出しているんだそう。

 

ボランティアの現地までの交通費などもかかるだろうし、月55,000円で生活するのってとても大変そう。

大分のお家は、ゆっくり老後を過ごすために購入した家のようなので家賃はかからないですが、その中でやりくりするのって…。

食事は、タンポポ、オオバコ、ドクダミ、ヨモギなどの野草を集め、茹でて酢醤油で食べているんだそう。

もちろんこれだけではないと思いますが…。

 

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最後に

 

各地でボランティア活動をしている尾畠さん。

「人に、世の中に、恩返ししたい」が口癖なんですって。

「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉を尾畠さんは心に置き、ボランティア活動をしているようです。

 

本当に感服します。

スーパーボランティアの”神””師匠”と呼ばれるだけありますよね。

 

78歳の時の夢は

夜間の学校に行って勉強がしたい

と言ってたそうです。

 

現在はどうなのかわかりませんが

いつまでも前向きで夢を持ち、人を助けて素晴らしい方です。

 

とても明るく、元気を与えてくれる尾畑春夫さん。

これからもボランティア活動で様々な人を救っていただきたいですね。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございます。

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